2014年02月 の記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Comment (-)

タモキシフェンで、ウィッグ!

タモキシフェンで、薄毛(゚д゚)!


になってしまい、さて、どうしよう?です。


毎日毎日、合わせ鏡をして、頭頂部を見ては、ため息をつく日々。

なにをどうやってこねくりまわしてみても、薄いもんは薄いんです。

日に日にカバーできなくなっていく頭。

ある日、知り合いの方に、室内で撮った自分の写真をいただいたときに愕然としました。


わあー、スッカスカ(゚д゚)


自分では、まだうまいこと隠せてるかしら、なんて思ってたけど、
実際に、照明の下で激写された写真は、真実を物語っておりました。



しばらく立ち直れませんでしたね。


それまでも、ニットキャップは常に被っていて、場所によっては、ちょっと変な人だったんですが、
それでも、どうしても帽子をかぶって行けないシチュエーションってあるじゃないですか。


そういう場に出たときの写真だったんです。


帽子をかぶったままでは、おしゃれなカフェだって行けません。

子供の授業参観だって、いつまでも帽子をかぶりっぱなしでは、変です。


だから、決意しました。


ハゲの治療と、ウィッグデビューを。


ハゲの治療は、免疫力を上げるとか、体のバランスを整えるとか、そういうサプリメントと、
専用のローションとかシャンプーを使った治療です。


専門のサロンっていうのかな、
そういうところにいって、ケアしてもらうことにしました。

それだって、半年で何十万もかかる計算です。


お金はなかったけど、髪の毛がない方が辛かったので、
エイヤと決意して、サロンに任せることにしました。


そういうところに行ったからと言って、
すぐにフサフサになるわけじゃありません。


回復までに1年以上はかかるでしょう。


となると、そのあいだのハゲ隠しだって必要です。


だから、買いました。


フォンテーヌの部分ウィッグ。40000円です。


これが、自毛と質感、色ともにそっくりなウィッグでして、
意外や意外、しっくりと馴染んでくれました。


とはいえですねえ……


次回で、ウィッグ生活の、
いいところと、イマイチなところを書いてみようと思います。


にほんブログ村 病気ブログへ 
ご訪問ありがとうございます。応援のクリックを励みにガンバります(´∀`)
スポンサーサイト

薄毛は治らない!?(゚д゚)

「タモキシフェンで薄毛」の続きです。


タモキシフェン服用3年目あたりから、
笑えないほどに薄くなっていった、わたしの頭頂部。


髪が乾いた状態でも、スッカスカで、髪の毛が透けて頭の形がわかるほど。


hage.jpg


1年目から、なんとなくそんな気配はしてたんです。

抜け毛がひどくなる、という症状ではなく、

人間、毎日何十本だか百本だかの毛髪が抜けて、
そして再生するというのを繰り返しております。

そのリズムが、
抜けっぱなし
という感じでしょうか。

抜ける量は多分、人並み。

でも、それが再生してくる力が、なくなっちゃったみたいでして。


だから、少しずつ、抜けっぱなし。


それが1年、2年と積もり積もって、
3年目には、目に見えてわかるほどの薄頭になってしまったようなんです。


それでも、最初の告知~手術までを担ってくれた主治医は、

「薬を飲むのをやめれば、髪も生えてくるよ」


と、言っておりました。

治療さえ終われば、諸々の症状は収まる、と



ところが!



治療の途中で主治医が変わりまして。


この主治医が、とんでもないことを言い放ちます。



「薬をやめても、
体質自体が変化してたら、治らないかもね~」



なんですと(゚д゚)!!!!!


ものすごいショックな言葉でした。


「治療さえ終われば」


この一言を支えに、薄らハゲにも耐えてきたのに。



「治療が終わっても、そのままかも」だなんて。


その主治医の主張は、


ホルモン剤で、体質自体が変化してしまっている可能性が高い。
そうなると、薬をやめたところで、体質は戻らないかもしれないので、
薄毛もそのまま継続しちゃうかもね~


とのことでした。

本当に、デリカシーのない言い方で、これまた、ものすごく傷つきましたね。


そうして、この一言をきっかけに、浮上できないくらい落ち込みまして、
ウツまでもが再発してしまったのです。


というのが、一昨年から去年にかけての話で、


去年の夏は、本当にひどいウツ状態でした。


と、「タモキシフェンでウツ」の話は、また別の機会にまとめていこうと思います。


そんなわけで、気分もどん底で、ハゲは進行していくばかり。


本当に、どうしようもない状態でした。


薄毛話、続きます。


にほんブログ村 病気ブログへ 
ご訪問ありがとうございます。応援のクリックを励みにガンバります(´∀`)

タモキシフェンで、薄毛!

ホルモン注射は中止となりまして、
その後は、タモキシフェンの内服1本で行くこととなりました。


わたしが飲んでいたのは、タモキシフェンのジェネリック品である
「タスオミン」です。


いわゆる「ノルバ」よりも、お値段が安かったので、
こちらにさせていただきました。


ちなみに90日分で6000円と数百円です。


「ノルバ」だと、もう少しかかりますよね。



で、タモキシフェンを飲むようになって、
最初の1年2年は、大した副作用もありませんでした。


気になるといえば、「冷え」くらいでしょうか。

夏でもお腹の中だけがどうしても冷えて、
カイロを貼っておりました。


それでも、まあなんとかカイロや着るもので対処できる程度です。


冬はもう少し大変だったかな。


お腹と背中にカイロ、2枚貼りと靴下と腹巻で、なんとかやり過ごしておりました。



ところが。



3年目あたりから、もうひとつ、
気になる症状が色濃く出てくるようになりまして。



それが、薄毛です。



1年目から、少ーし気にはなっていたんです。


「なんか、ちょっと薄くない?」


ってな程度で。


2年目くらいまでは、「わたし、ちょっと薄目だから~」なんて、
まだ笑っていられました。


でも。


3年目あたりから、笑えない(゚д゚)


笑えないくらいに進行してしまいまして。


いわゆる女性のびまん性ハゲというのでしょうか。


女性ホルモンに関わる部分が薄くなっていくみたいで、
こめかみから、上の部分が薄ーくなっていきました。


最初はよかったんです。
頭頂部の薄さを、分け目を横にすることで、カバーできましたから。


でも、次第に、分け目を横にして、横から後ろから髪を持ってきたくても、
隠しきれないほど、頭頂部が薄々になっていきまして。


しかも、ハゲ隠しをするための横や後ろの毛量も、
だんだん少なくなっていったんです。


もはや、隠しようもありませんて(´;ω;`)


悩みましたね~。


これ以上ないくらい、悩みました。


これ以上ないくらい悩んで、これ以上ないくらい落ち込みました。


そうして、ウツへのスイッチが入ってしまうのですが、
薄毛だけに関して言えば、本当に辛かった。


隠しようがないくらい、てっぺんあたりだけが薄いんです。


地肌が見えてて、どんな髪型にしてみても、隠せない。



惨めで、悲しくて、
やりきれなくて、泣きました。・゚・(ノД`)・゚・。



薄毛話、まだまだ続きます。


にほんブログ村 病気ブログへ 
ご訪問ありがとうございます。応援のクリックを励みにガンバります(´∀`)

2010年1月 リュープリンで、うつ!

なんだか、

「ガンダム、大地に立つ!」

みたいなノリのタイトルになってしまいました。


「リュープリンで、うつ!」


リュープリンでうっ、とか、リュープリンを打つ、というのではなく、

リュープリンの副作用で「うつ」が出た、という意味です(*´ω`*)



わたしのホルモン治療は、1回目の手術のあとから始まりました。


当初の予定は、

タモキシフェンの服用と、
リュープリンの注射の併用です。



かるーく考えていたんですけどね。

これがとんでもなかった(゚д゚)

服用と注射を初めて、一番最初の副作用は、ホットフラッシュでした。


といっても、ちょっとカーっとほてるくらいの、軽いホットフラッシュです。


最初のひと月くらいは、そんな軽いホットフラッシュが出るくらいで、
ほかには、これとった副作用もなかったんですね。


ところが、ちょうどひと月ほどたったあたりから、
ものすごく気分が落ち込むようになりまして。

最初は、なぜそうなるのかさっぱりわかりませんでした。

今になって、ガンになってしまったことのショック状態が来たのかなあ、とか、

そんなふうに考えていました。

でも、何をどういうふうに考えてみても、気分の落ち込みは回復せず、
それどころか、ますますひどくなっていく始末。


しまいには、家事もできないくらいの状態になってしまいました。


本当に、口を開くのもおっくうで、呼吸をするのも何をするのも、イヤでイヤで仕方ない。

ソファや床の上に座ったまま、何時間でも、半日でも、一日でも、そのままの状態で、
鬱々と一日が過ぎていく──そんな毎日を送るようになりました。


さすがに何かがおかしいと、思うのですが、それが何なのかわからない。


だって、そうです。

先生は、ホルモン治療の副作用で、そんな症状が出るなんて、一言も教えてくれてないんです。

だから、ワタシ自身に問題があるのだと、すごく悩みました。

悩むのも億劫だったけど。


そうしたら、ある日、そんなわたしを見て、夫が、

「キミ、うつだよ」

と言い放ちまして。

うつ!(゚д゚)

そうかあ!

と、このときばかりは、答えが見つかって、頭の中にランプがつきました。


「うつ」と言われた途端、すべての症状に納得が行きます。


それでも、その原因が何にあるのか、漠然と、ホルモン治療のせいかなあ…と思ってはいましたけど、
確信はありませんでした。

それくらいに、ホルモン治療の副作用について、軽く考えていたんです。

先生も、「更年期みたいな症状が出ることがあるかも」程度にしか、言ってませんでしたし。


だから、診察のとき、「うつ」のことをちょっと相談してみたんです。

そうしたら、

「それ、注射のせいだと思う」

と、あっさり(゚д゚)

「どうする? 治療続ける? やめる?
やめると、再発率が少し上がるけど……」


そう言われると、ちょっと怯みますが、もはや日常生活がまともに送れないレベルです。


「それでもね、がんばる人は旦那さんに協力してもらって続けるんだけど……」


「いえ、やめます!」



わたしには、とても頑張り続ける自信は、ありませんでした。ムリです。



「わかりました。実はね~、30代でこの薬使うと、
3人に1人は、副作用がキツくて中止するんだよね」


なんですと(゚д゚)!


じゃあ、それ、最初に言っておいてくれればヨカッタのに!

最初から、リュープリンの副作用がきつくでる場合もあるとわかってれば、
不安も少なかったハズです。


そうして、リュープリンをやめたところ、薄皮を剥ぐように、「うつ」は改善していきました。
1ヶ月が経つ頃には、かなり回復です。


やっぱり、注射のせいだったんですね(´∀`)と、安心しました。


そして、その後の治療は、タモキシフェンの服用オンリーということになりました。


これが、また、わたしをじわりじわりと苦しめてくれるのですが、
その話はまた次回以降ということで。


にほんブログ村 病気ブログへ 
ご訪問ありがとうございます。応援のクリックを励みにガンバります(´∀`)



2010年5月 再発率100%じゃん!

ヘビーな術後生活を終え、13日間お世話になった病室ともグッバイ(´∀`)ノシ


家に帰ってからも、
ぐったりでしたが、やはりおうちはいいものです。
お世話してくれていたのは義母でしたが、
思いっきり甘えて、養生させてもらいました。


子供たちと一緒に過ごせるのも、回復にきいていそうです。


入院中は、子供たち、特にまだ2歳だった下の子がかわいそうでした。


だって、泣くんです。


満面の笑みで、面会に来てくれて、いっぱいいっぱい抱っこされて(傷が痛いけど)
帰るときになると、大泣きするんです(´;ω;`)

これには参りましたね。

体重が減らないのにも参りましたが、
子供に泣かれる辛さったら。

胸が張り裂けそうでした。・゚・(ノД`)・゚・。


下の子供は、帰ってくるなり、だっこお化けになりました。


ちょっと、このときの様子は、今思い返しても泣けてきますね。




と、それはさておいて。



今回の手術の病理結果です。


摘出した左胸の乳腺全部を、つぶさに検査したところ。


かなりの広範囲にガン細胞が散っていたそうです。


しかも、一部では、浸潤ガンにまで成長していたとか。


もし、あのまま再手術してなかったら。



再発率100%ってことじゃないですか(゚д゚)



いやいや、手術してヨカッタです。


恐ろしや(゚д゚)



先生は、

「もう全部取っちゃったから、
左側で再発の心配はないよ」


とおっしゃいました。


放射線治療の必要もありません。



たくさん痛い思いをして、その見返りがこれです。


やれやれ、ですね。


がんばったかいはありました(´∀`)


となると、ここから先は、
ホルモン療法の始まりです。


いや、書き忘れてましたが、
実は、もう始まってます。始めてました(´∀`)


次からは、このホルモン療法と副作用について、
書いていきたいと思います。


にほんブログ村 病気ブログへ 
ご訪問ありがとうございます。応援のクリックを励みにガンバります(´∀`)

2010年5月 減らなかったよ、体重は…(´・ω・`)

さてさて、術後、胃腸風邪になり、2日ほど、
水分以外は口にせず、過ごしておりました。


術前、夜9時より、絶食。
手術の日、丸一日、絶食。
その後、胃腸風邪で、2日ほど、微食。

と、来ればですよ。
女の子だもの、何かを期待しますよねえ(*´ω`*)


ちょうど、そうしてあまり食べずに過ごした次の日、

ピンポンパンポーン♪
「今から、体重測定をしていただきます。
ナースステーションまでお越しください」


という放送が入ったんですね。


「これは!」

と思いましたね。


ここ近年で一番スリムな体重が見られるかもしれない、と。


まだまだ体はギシギシで、うつぶせからの起き上がりしかできない状態でしたが、
心なし、軽い足取りで、ナースステーションへと向かいました(´∀`)


ナースステーションの前に、
ごくごく普通の、
家庭用の体重計が置いてあります。


「そこで体重計って、知らせてください」


ナースステーションの受付から、看護師さんの声がかかります。


ちと興奮気味に、体重計に乗るワ タ シ(*´∀`*)


カショーーン………


Σ(゚Д゚)

「なぬ!?」


……(゚д゚)?


なんと、驚くべきことに、体重は入院初日とほぼ変わらず、でした。


「あのー、すみません、この体重計、壊れtr……」


と言いたかったのですが、すでに後ろに人が並んでいたので、
そう言い出すこともできず、ボソッと体重だけを伝えて、帰路につきました。


ショックのあまり、帰りも早足です。


このことを、

このことを、

伝えなければならない人がいる!


「お父さーん、体重減ってなかったー!!!」


夫に、メールしました。

すぐさま、返事が戻ってきます。


「ははは。」


ははは?(゚д゚)


ははは、で済ますとは、これ如何に?


いやあ、妻は傷の痛みなどすっ飛ぶくらいに、ショックを受けているというのに。


そんなもんですかー。(当たり前ですね(´∀`)ハハ)


ホントに、あれだけ苦しんだ数日で、1キロくらいしか減ってなかったです(゚д゚)


わたしの予想では、3~4キロくらい、ゴソッといってたハズなんですけどねえ。


37歳(当時)の脂肪、恐るべし(゚д゚)、ですわ。


手術の痛みにも、胃腸風邪にも、耐えるんですね。

耐久度の高い脂肪を身につけてしまったものです(ノ∀`)タハー


って、真剣に考えると、
ベッドに横たわってる時間が長いので、
それだけ、消費エネルギーの量も少なかったんでしょうね。

ただ、寝てても消費エネルギーの量を増やすには、
筋肉の量を増やすよりほかありません。

37歳の平均筋肉量では、たいした消費にならないんですねえ( ´△`)


みなさま、脂肪を燃焼させるには、筋肉をつけるのが確実ですよ!
腹筋や背筋などの、大きな部位の筋肉を鍛えると、
寝てても消費される基礎代謝量が増えて、脂肪が減りやすくなります。


わたくし、この経験が悔しかったので、傷が少し癒えてからは、
少しずつ筋トレして、筋肉をつけました。

取ってしまった左側の広背筋をカバーする筋力もほしかったですしね。


で、今は痩せたのかと聞かれれば。


……食欲さえ抑えられれば、「yes」です。


でも、食欲に負けっぱなしなので、
結局、あんまり変わってなかったりしてー(´∀`)アハー


お菓子を食べるとてきめんデスネ。お菓子、危険!でもうまい!


というわけで、入院生活はダイエットにはなりませんでしたーヽ(´▽`)/ウワーン

にほんブログ村 病気ブログへ 
ご訪問ありがとうございます。応援のクリックを励みにガンバります(´∀`)

2010年5月 ガスに埋もれて……

本当に、2回目の手術~入院生活は、

「こんなはずじゃなかった!」の連続でした。


手術が終わってすぐの頃に、
子供が結構 激しい胃腸風邪 にかかってしまったようで、
我が家も大変だったみたいですが、


それを、毎日顔を出してくれていた夫が、
ご丁寧にも輸送してきてくれたようで。


術後2日目に、わたしもバッチリ胃腸風邪になりましたヽ(´▽`)/


ただでさえ、傷の痛みでヨレヨレなのに、そこに胃腸風邪です。


まず、食事が摂れなくなりました。


なんともいえないまったりとした吐き気。


なーんにも食べる気が起こりません。


なので、食事は看護師さんに言って、止めてもらいました。
食べない食事を持ってきてもらうのは、廃棄を増やすだけです。


と、ここまではヨカッタんです。

食べられないくらいなら。


でも、残念ながら、次の段階がやってきてしまいました。


まさか、お食事中にこのブログをご覧になっている方がいるとは、
ちょっと予想がつきませんが、
一応、先にお断りしておきます。


ちょっとバッチイ話ですよ。



やってきたのは、ゲリピー腹です。


ただでさえ、起き上がるには、

体の向きを変えて、うつぶせになって、ジタバタ……

という段取りを踏まないと、ベッドから起き上がれないのに、

ピーピー腹です。


よいしょと起き上がって、トイレに腰を下ろして、
ヤレヤレと立ち上がって、再びベッドに戻ってくると、

ピーピーピー……

警報、再び。


しかもね、食べてないから、ピーピー来るわりには、出ないんですね。


もう参りましたネ。


しかも、胃腸風邪になると、どうしてあんなに臭くなるの?


ベッドでガスが漏れると、それこそ警報でもなるんじゃないかと思うほどの激臭です。


特に夜、看護師さんの巡回時にちょうどガス漏れ(うん漏れじゃないデスヨ)しちゃって、
「あわわ(゚д゚)」になりましたね。ハハハ。


でも、このときの夜勤の看護師さんは、いい人だったので、

ふたりで胃腸風邪は、


「うんこ漏らすよね」


と、互いのうんこ漏らしを暴露し合って、
わたしもちょっと安心でした。



これで、万が一漏らしても、許してもらえるに違イナイ!



幸い、朝まで漏らすことなく過ごせたのですが。

それでも、寝たか起きたか、わからないくらいの眠りでしたね。


うんこ漏らすのが気になって、熟睡できなかったです。


このとき、まだ個室にいたんですが、
つくづく、個室でよかったと思いました。


ガス製造マシーンになっとりましたから(´∀`)


先生が回診に来たとき、整腸剤を所望しましたね。


と、胃腸風邪を発症して、2~3日は、こんな様子でした。


結局胃腸風邪って、病院にいても、対処療法しかないんですよね。


症状が落ち着いていくのを待つしかなかったです。


別の看護師さんに、


「食事をしないと点滴になっちゃうよ」


と脅されたこともいい思い出です。


そんなこと言われたって、受け付けないものはしょうがないっつーの!


脅された次の日には、食事を再開しましたけどね。


くっさいガスとうんこに悩まされた数日でしたヽ(´▽`)/


にほんブログ村 病気ブログへ 
ご訪問ありがとうございます。応援のクリックを励みにガンバります(´∀`)

2010年5月 ベッドから起き上がるための工夫

苦しみの夜が明けて。


日勤の看護師さんが来るや否や、


「全部とってください!!」(涙目)



ここから、また少し待たされたんですが、


ややあって、全部の装備を外してもらえました。


すっきり!!


と、1回目の手術のあとは、自由を満喫できたのですが、
今回は違いました。


装備は外れたけど、傷の痛みは外れないんですよね。


熱くて重い鉄板が左側に入ったままです。


とりあえず、看護師さんの手を借りて、その場は起き上がることができましたが、
次からは、ハテ、どうしましょう?


それくらいに、重い鉄板が入っとりました。


体を動かすと、鉄板がギギギと言って、痛みを発するんです。


筋肉をとると、こんなに動きに制限が出るんですね(゚д゚)


看護師さんの助けを借りて、どうにかトイレにいったあと、
また必死こいてベッドに戻りましたが、


その次の朝食タイムが来たときに、


どうやっても起き上がることができなくて。


ひっくり返ったカエルのように、ジタバタしてましたけど、
起き上がるための力がまったく入らないんですね。


ちょっと笑えましたね。


夜さえ明ければ、装備さえ外せば、楽になれると思い込んでましたから。


でも、このまま起き上がれないとなったら、また何をされるかわかりません。


まだぼんやりとしていた頭で必死に考えました。


動かせる部分を使って、どうにかすればよいのです。


まずは、ベッドの頭部分をアップさせました。


ウィーーーーン


少しリクライニングさせたくらいの角度まで、アップします。




さあ、これでベッドごとですが、体を起こすことができました。


ここからが、ひと仕事です。


まずは、右側の腕の力を使って、
仰向けの状態から、右向きになります。



エイヤッ!muki.jpg

あ、イカン、イラストでは使えない方の腕使ってますね(^_^;)
使ったのは点滴の針が痛かった、右腕です。


ふう。


そうしたら、そのまま、足の力も使って、
うつぶせになります。


うつぶせになったら、
そのままジタバタしながら、足から床に降ります。



上から見るとこんな感じです(´∀`)

idou2.jpg




この方法で、なんとか、自力でベッドから降りることができました。


初日から2~3日は、かなり時間をかけて、
こうやってベッドから降りていたような気がします。


それ以降も、スピードこそ早くなったものの、
やはり退院するまで、この方法でベッドから降りてましたね。


退院してからは、今度はベッドではなく、お布団なので、
起き上がるのがこれまた大変でした。


やっぱり、こうやってジタバタしながら体の向きを変えて、
一度うつ伏せになってから、ムクリと体を起こしていたと思います。


というわけで、なんの役に立つのかわからない、
術後明けの奮闘記でした(´∀`)



入院生活、もう少し続きます


にほんブログ村 病気ブログへ 
ご訪問ありがとうございます。応援のクリックを励みにガンバります(´∀`)

2010年5月 忘れられない苦痛の夜

術後の夜。


それはもう、とてつもなく長い夜でした。


たぶん、生涯の「忘れられない夜」のひとつだと思います。


傷は痛いわ、点滴の針が痛いわで、マンガも映画も観れないときたら、
もうぼーっとしているしかありません。


朝一で手術室に入って、昼過ぎに出てきまして、
夕方、夫が子供たちの待つ家へ帰りました。


そこから、次の朝の検診までは、地獄でした。


消灯時間までは、それでもうとうとしてたような気もします。


で、消灯時に、眠れる薬を点滴に入れてもらって、
すーっと眠っていったんですが、
術後の夜って、看護師さんが定期的に血圧を計りにやってくるんですよね。


なので、この血圧チェックで起こされまして。


そこからは、一瞬たりとも眠ることができず、
ひたすら痛みと対峙するだけの時間でした。


まず、傷が痛すぎて、身動きが取れないのがツライ。


よく、刀傷は、熱い鉄板がそこにあるように痛む、と聞きますが
(どこでそんなこと聞いたんだろう??)

まさにその通り。

左側の背中から胸にかけて、熱くて重い鉄板が入っているかのように、
ずっしりと重く、痛いんです。


でも、人間、同じ姿勢を取り続けていると、関節や床に面している部分が傷んできますよね。


わたしも、腰が痛くて痛くて。


どうにか、体を動かして腰の痛みを逃したいんだけど、
ピクリとも体を動かすことができないんです。


こう、腕の力に頼ろうとすると、点滴の針がズッキーンと激しく痛むんですよね。


で、足に力を入れると、今度は、尿道カテーテルが、痛みまして。


わたし、この尿道カテーテルってのがとても苦手なようで、
1回目も違和感ありまくりだったんですね。


今回は、その違和感が痛みとして感じられて、これまた辛かった。


普通、カテーテル入れてれば、尿意って感じることなく排尿されるじゃないですか。


でも、ちょうど入口に違和感と痛みを常に感じていたからか、尿意もずっとありっぱなしで、
「おしっこしたいのに、できない!」感覚に、苛まれました。

うーんって力んでも、すっきりするわけでなく、ずーっと強い尿意があるんです。


点滴だけでなく、カテーテルももしかして、
新人ナースがセットしたんでしょうか?


もう拷問でした。



朝になれば、全部外してもらえますから、
ひたすら時間がすぎるのを待つんですけど、


全然時間が過ぎないんですよ。



時計を見ても、針が異様に遅いんです。


もう1時間くらい経ったかしらと思って時計を見ると、
2分くらいしか過ぎてなかったり。


(´;ω;`)


さすがに泣きました。


辛くて何度も何度もナースコール。


でも、ナースコールしても、何も楽にならないんですよね。


それでも、少しでも気を紛らわしたくて、コールしまくってました。


すごい迷惑な患者です(ノ∀`)


しまいに看護師さんも、迷惑そうな顔してましたね~(苦笑


で、夜が明けてからも、1回目の外科病棟では朝6時に、
すべての拘束から解放してくれたのに、

混合病棟では、
日勤の人と交代してからでないと取れない、と言われまして。



ということは、どんなに早く見積もっても9時過ぎです。


悶絶の3時間でしたヽ(´▽`)/


いやあ、初めてのお産の夜も、相当辛かったけど、
この術後の苦しみに比べたら、陣痛は無痛時間があるだけ、まだ楽だったように思います。


本当、苦い思い出です。


にほんブログ村 病気ブログへ 
ご訪問ありがとうございます。応援のクリックを励みにガンバります(´∀`)

2010年5月 術後の苦しみ

若葉ちゃんに点滴の針を、変なふうに刺されて痛かった右腕。

きっと、神経に触ってたんでしょうね。

もう腕を曲げたまま、伸ばすこともできず。
(伸ばすと激痛が走りました)

麻酔から覚めると、その腕の痛みと、傷の重い痛みを感じました。


左胸~左の背中まで大きく切って、

切るだけでなく、組織をあっちからこっちにもってきて~と
しているので、痛みはかなり強かったです。

痛み止めの点滴を入れてましたが、それでも痛かったですね。


1回目の手術のあとは、それほど傷も痛まず、楽ちんでマンガ読んでただけに、
そのギャップに驚きました。


でも、それも仕方ないですよねえ。


1回目は胸の下の方をちょこっと切り取っただけ。

今回は、胸の組織全部と、片側の広背筋を切り取っているんですから。

そりゃあ、1回目と比べたら、痛いに決まってます。


でも、わたしも考えは実に甘かった。


傷は痛かったけど、気の持ちようだわ、と思って、またマンガを読もうとしたんです。


『毎日かあさん』の最新刊がちょうど出たときだったので。


ところが、全然読めない。


本を開いても、目が紙面を拒否するんです。


なら、ポータブルDVDで映画でも、と思っても、ダメ。

画面を見ていられなくて。


人間、消耗してるときって、何かを読んだり見たり、
できなくなるもんなんですね(゚д゚)



ちなみに夫は、
手術室から出てきたわたしを見て(まだ麻酔で朦朧としてて目を閉じてます)、
あまりの顔面蒼白な様子に、

「うわ、ゾンビ!」

と思ったらしいです(´∀`)

とても血が通っている人間には見えなかったそうで、
ゾンビのごとく、カッと目を見開いて、襲いかかってくるに違いない、と思ったそうです


ゾンビ映画の見過ぎですヽ(´▽`)/



で、今回は、外科病棟でなはかったので、回復室というものが存在せず、
すぐに自分の病室に戻されたんですね。


また鼻に、酸素のチューブをあてがわれまして。


でも、うっとおしいから、取ってたんです。


だけど、あまりにしんどいから、やっぱり酸素もつけておいたほうがいいのかなーって、
再び、鼻に置いてみまして。


そうしたら、ちょうどそのタイミングで、つきそいの夫がご飯食べに行ってくるって、
部屋から出て行ったんですね。


ひとりでぐったりと病室です。


術前準備といい、点滴といい、術後の様子といい、
こんなはずじゃなかったのになぁ……とか思いながら、ぼーっとしてると、

急に、手足が痺れだして。

「あれ?」と思っているうちに、呼吸まで苦しくなって、

全身から、脂汗がぶわっと吹き出しました。

「これはヤバイ!」と思って、ナースコールです。


コールでやってきたのは、看護師の若葉ちゃんヽ(´▽`)/

「どうしました?」

「胸が苦しい…です……」


看護師若葉ちゃん、顔色を変えて、
「待っててください」とナースステーションに走っていきます。


待っているあいだも、カラダが震えて、耳鳴りがキーンとしてました。


なんだって、夫がいなくなった瞬間にこうなるのか。


すぐさま、ベテラン看護師さんが、やってきて、
すこし頭側を上げてたベッドをフラットにします。


酸素飽和度とか、心拍・血圧に異常はなかったらしく、


「大丈夫よ」とキビキビと言われてしまいます。


すると、呼ばれたのでしょう、執刀した主治医の先生もやってきて、
傷の様子やらをチェック。


やはり異常はないようです。


それでも苦しい理由は、過呼吸だったみたい?


酸素の摂り過ぎ?



やっぱり鼻の酸素チューブは外しておいたほうがよかったのかしら?


今となっては、原因はわかりませんが、
先生は、痛みが強くて呼吸が早くなったせいだと思ったみたい。


確かに痛みは強いですけどね。

でも、すでに痛み止めを入れているので、これ以上増やすこともできず、
結局ガマンするしかないみたい。


過呼吸の治療によくあるように、
何も出ていないカラのマスクで口と鼻を覆っての対処となりました。


でも、全然楽にならなかったですけどね。

夜になっても、ずっと胸の苦しさはとれなかったです。


これ、今にして思うと、麻酔の影響かな、とも。


麻酔してる時間が、1回目の倍以上だったのに加えて、
ホルモン剤を飲んでいたことで、普通より影響が大きく出てしまったみたい。

これは、のちのちもフラフラしてるわたしを見て、
主治医の先生がおっしゃってました。


ともかく、術後は辛かったですね。


とりあえず、一旦切りますが、
まだまだ続きます。術後の苦しみ編(´∀`)


にほんブログ村 病気ブログへ 
ご訪問ありがとうございます。応援のクリックを励みにガンバります(´∀`)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。