2014年01月 の記事一覧

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2009年11月 入院着は何を着る?

2009年11月、いよいよ入院~手術です。


他の方のブログを拝見しますと、みなさん、入院中の準備編として、
持っていったもの、あったほうがヨカッタものなのを列挙されています。

当時、わたしも入院前には、そのような記事を読み漁り、
「なるほど、なるほど」「ふむふむ」なんてやってた記憶はあるのですが──

実際に入院したときの記憶となると、何を持っていったのか、覚えてないんですよねえ(^_^;)

タブン、あれこれ読んで頭でっかちになったわりには、
大した用意もせずに入院したんだと思います。


ただ、着る物には、ちとこだわりました。


普通、入院着といえば、病院で貸出している寝巻きか、持参したパジャマです。


このパジャマが、わたし的に、あまり好ましくなくて。

いかにも、入院患者といった格好をしたくなかったんですね。

病気で入院するんだけど、少しでも普通の格好で、
一見、見舞い客に見えるくらいの格好でいよう、そんなことを思っておりまして。

タブン、そうすることで、少しでも病気から遠ざかろうとしてたんでしょうね。


──なんて、こだわったことを考えておきながら、選んだのは、ジャージ

ジャージ

しまむらで2980円でお買い上げの一品です(´∀`)


病室に案内されたあと、すぐにこのジャージに着替えて、
術前術後は、見舞い客のような顔をして、肩で風切って歩いていました。
(傷が痛いのをガマンしながらね(^_-)-☆)


実際、手術した次の朝、回診にきた先生は、
ジャージ姿で普通に座ってマンガ読んでたわたしを見て、


「うおっ(゚д゚)、フツーの人じゃん!」

びっくり


と驚きの声を上げておりましたヽ(´▽`)/


そんな感じで、こだわった入院着でしたが、
11月半ばにジャージ1枚は、夜になるとちと寒かったです。


あと、スウェットではなく、ジャージにしたもう一つの理由は、
術後のことを考えて、でした。


胸の手術ですから、
「前開きの下着、前開きのパジャマがよい」
という記述をみなさまのブログ等で見ていたので。


実際、術後は、センチネルと手術の影響で、腕が上がらず、
それなりに痛みもありましたので、前開きのジャージは、重宝しました。


ちなみにこのジャージ、4年経った今でも、春秋シーズンの部屋着として活躍しております(´∀`)


入院着にジャージ、オススメですよ(・ω・)bグッ

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2009年11月 わたしの手術

さて、いよいよ手術へと突入していくのですが、その前に、
わたしの乳がんに行う手術について、ちょっと説明してみたいと思います。


わたしの場合、シコリの大きさは1センチほどでしたので、
温存手術を選択することができました。


ただし、先生、

「全摘したほうが、
のちのちのリスクは低いですが、どうしますか?」


全摘のメリットもしっかり説明されます。


温存の場合は、切り取った組織を丹念に調べ、がん細胞が広がっていないようなら、
残った乳房に放射線治療を施し、その後、がんの種類によっては、
化学療法かホルモン治療、もしくは、その両方を行っていくことになります。


全摘の場合は、この放射線治療をしなくてもよくなる、と言われました。


そう言われましても、やはり、全摘というのは、抵抗があります。


全摘後、再建という方法もありますが、
この当時は、インプラントによる再建が、保険適用外(一部を除く)。

となると、再建するのに大体100万近くかかりますよ、と本やネットで読んでいたので、
また改めて書きますが、ロクな保険に入っていなかったわたしには、
とてもとても、手の出せる選択肢ではありませんでした。


手術の説明後、先生は、


「決めるのは、おうちに帰って、旦那さんと相談してからでもいいですよ」


優しく、提案してくれます。


けれど、心はすでに決まっていました。

「温存一丁、お願いシマス」



切るのはわたしの胸です。そこに夫の意思は必要ありません。きっぱり。

と、そんなことまでは言いませんでしたが、事実、そうでした。


「わかりました」

先生、温存手術への説明を始めていきます。

「…シコリから数センチの範囲を切り取ります」

これ、何センチでしたかねー?
ちょっと失念してしまいました。

ぱい


でも、1センチのシコリに対して、結構大きく切り取るんだなあと思った覚えがあります。


わたしのシコリは、左胸の外側下あたりにありましたので、手術をすると、
下の膨らみが、スッパリと切り取られることになります。


とはいえ、このときは、そんなイメージなど全然ありませんでした。

よくわからないけど、「それでお願いシマス」しか言いようもなく。


ふと、最初の検査をしてくれた○○○クリニックの先生の言葉が蘇ります。

「ちょちょいと切っちゃえば、
  それで終わりだと思うよー思うよー思うよー」



この、ちょちょいのせいで、本当にシコリの部分だけを切り取るかと思っていたのに。


実際は、大違いでした。


でも、ガンは広がっていくのですから、シコリだけを取ってもダメなんですよね。

広がっているかもしれないことを前提に、大きく切り取る。

これ、他の部位でも同じなんでしょうね。



それともうひとつ、センチネル生検の説明も受けました。

これ、今は保険適用になりましたか?

当時は、適用外で、わたしがかかった病院では、48000円かかると言われました。

乳がんでは必要な検査なのに、保険適用外とは。

先進医療のひとつ、なんだそうで。

あ、今調べてみたら、2010年4月から保険適用になってるみたいですね。ヨカッタヨカッタ。



ここまで説明を受けて、最後に気になるのは、
入院日数のことです。

どれくらい入院するんでしょう?

「3~4日、かな」

(゚д゚)

早いッスね!


一応、ガンという大きな病気の手術なんですから……という気もするんですが、
「通常は4日くらいで退院だよー」と言われ、ちょっとビックリ。

これ、同じ温存手術でも、病院によって異なるようですね。


わたしがお世話になった病院では、それくらいの日数が基本のようでした。


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2009年11月 20歳のときからガンだった?(゚д゚)

今回は、なかなかにショッキングだったお話をしたいと思います。


手術の予定が早まって、術前検査のために診察に訪れたときのことです。


手術の説明を受けて、そのあとに、ふと気になって聞いてみたんですね。


「先生、乳がんになってしまった原因はなんですか?」、と。


というのも、その頃から5年ほど前、一人目の子供の授乳中は、
母乳が詰まりまくって、頻繁に乳腺炎を引き起こしていたんですね。

で、詰まっているのは、当たり前で、今とは別の意味で、
一日中、おっぱいのことを考えてはため息をついている始末で、
それが、もしかして、今回の乳がんの原因になったのかなあって、気になっていたんです。


当時のことを知る人たちから、「ほら、あのときのが…」って言われてもしましたしね。


ですので、そのことを先生に伝えて、「…それが原因だったりしますか?」と尋ねたら、

「関係ありません」



即答でしたヽ(´▽`)/


あまりの即答っぷりにちょっとビックリもしましたが、
「じゃあ、なんでしょ?」と聞くと、
今度は、言葉を濁して、


「う~ん、原因はハッキリとはわからないですよね。
環境ホルモンの影響だという説もありますが…」


ははあ、なるほど。やっぱりわからないのかー。


「じゃあ、いつごろにガンになったんでしょうねー?」



実はこれ、すごーく軽い気持ちで尋ねた質問でした。

一番聞きたかったのは、乳がんの原因の部分でしたから、
正直、話の流れでなんとなく聞いたっていうか、そんな感じで。

そうしたら、

「うーん、タブン、20歳くらいの頃じゃないかなあ」


Σ(゚Д゚) は?

(゚д゚)は?



今、なんと?



「乳がんって、とてもゆっくり進行するガンなので、
今の大きさから逆算すると、
あなたの胸にがん細胞が発生したのは、20歳くらいだと思います」


絶句でした。


その存在がわかってからは、
わたしを苦しめる憎きヤツ、と思っていたのに、


16年も、苦楽をともにしていたなんて(゚д゚)


途端に、妙に親近感が湧いてきます。



ホントに、すごく不思議な気持ちになりました。


確かに、ひとつのがん細胞が、
1センチの大きさに成長するのには、それなりの時間が必要だとは思います。
けど、まさか16年……(゚д゚)


なんでしょう、変な考えですが、それだけ長いあいだを共にしてきたソレを、
そう簡単に切り取ってしまっていいんだろうか、とさえ、思いました。

いや、いずれは本体を死に至らしめてしまう存在なのだから、
切り取っていいに決まってますが、
そのときは、混乱して、そんなことを思っておりました(´∀`)


今にしてみると、笑い話です( ´▽`)ハハハ

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2009年11月 手術の予定が早まったヽ(´▽`)/

手術を待つあいだは、ネットでの情報漁りの日々でした。
毎日、ネット上に書かれたどなたかの記事を読んでは、一喜一憂する日々。

いろいろな方の体験、思いを読んでいくうちに、次第にわたしも腹が座ってきます。

読んだ中で、一番、心を落ち着けるきっかけとなったのは、
乳がんについて書かれた1冊の本でした。

その本は、特別な闘病記というものではなく、
ごくごく一般的な乳がんの症状や治療について書かれたものでした。

その冒頭に書かれた、言葉に、とても心を打たれたのです。

って、どんなだったかなあ(^_^;)

えーと、確か、こんなことが書かれていたと思います。


  がんを受け入れるのは、死を受け入れる過程に似ているといわれています。
  まず、最初は、いきなり降って湧いた事実に、やり場のない怒りや哀しみを感じるでしょう。
  けれど、それでいいのです。
  人によって期間は違いますが、
  必ず受け入れられる日がやってきます。
 だから、安心してください
 ──云々。


なんでしょう、この一文が、妙に心に響き、
「あー、これでいいんだー」と肩の力が抜けた覚えがあります。


逆に言うと、それまでは、力入りまくって、歯を食いしばっていたんだなぁ、と。


この日を境に、わたしの気持ちはずいぶん楽になりました。
ジタバタしててもいいんだって、ね。
なんか、どこかでそんな自分をみっともないと、思ってたんでしょうね。

うつうつ


だから、歯を食いしばって、平然を装っていたのかも。


とまあ、その話はさておいて。


手術が、12月と言われて、1週間くらいしたある日、
病院から電話ががかかってきました。

「手術のキャンセルが出たから、予定を早められるよ」

うれしい知らせです。

なんでも、予定の12月の何日かより、2週間ほど早く手術を受けられるのだとか。

2週間。

たった2週間ですが、気持ち的には、悪いものは一刻も早くとってしまいたいですから、
二つ返事で、お願いします。


となると、次に必要になってくるのが、術前検査です。

術前検査と、手術の説明と併せて、診察の予約を入れます。


この電話と、術前検査のあいだに、CT撮影があったのですが、
ちょうど風邪で体調を崩していて、
撮影自体はスムーズに済んだものの、その直後から、プチプチと蕁麻疹が少し出てしまいました。

「ちょっと、かゆいでス」

と言うなり、看護師さんや、技師の方や、
さらにはドクターまでもがワラワラと集まってきて、ちょっとビックリ(゚д゚)。

造影剤によるアレルギーでショック状態になるのを警戒してのことだったんでしょう。
「様子がおかしいようなら、救急で来てください」と言われ、さらにビックリしてしまいましたが、
結局、プチプチだけで収まったので、一安心でした。


しかし、造影剤ってなんでカラダに入れると、温かく感じるんでしょうね。
なんだか、不思議でもあり、不気味でもありました。

そして、それで撮影された自分の輪切り画像にも、これまた(゚д゚)ビックリするのですが、
その話は、また次回に綴ってみたいと思います。

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2009年10月 手術はすぐにはしてもらえない!?

初マンモをすませて、診察に戻ると、

そこで 二度目の告知 をされました。


「○○クリニックからお持ちいただいた細胞のサンプルと、
レントゲンなどから見ても、がんなのは間違いないです」


ガーン(゚д゚lll)

ついに言われちゃったよ。


いや、「ひょっとしたら」「もしかしたら」ってうっすらと期待しないでもなかったんですが、


やはり間違いないモンは、間違いありませんでした。


「いやあ、これ、他の人の検査結果と間違えてました」って
パターンもちょっとは期待してたんだけど(←しつこい)


先生が、どうのこうのと乳がんの説明をしていきます。


すでに頭の中は、乳がん情報でパンパンでしたので、
先生の説明は、わたしにとっては復習にあたりました。


でも、初めて聞くみたいな顔をして、
「ふんふん、ほうほう」と相槌を打ちます。


正直、知りたいのは、一般的な説明ではなく、
わたしのがんがどのタイプなのか、
どんな治療をこれからしていくのか
、ということです。


一通りの説明が終わるのを待ち、それを尋ねてみると、


「それはね~、手術の結果を見ないことにはわかんない」


と言われました。

(゚д゚)


「じゃあ、その手術は? いつになりますか?」

先生、パソコンをカチャカチャと操作し、

「んー、一番早くて12月……」

Σ(゚Д゚) は?

今は10月ですが?



「手術室の予定がいっぱいでねえ~……それくらいになっちゃうなあ」

マジっすか(゚д゚)

ということは、そのときが10月の下旬でしたから、
どんなに早くても1ヶ月は先ということ。

生殺し


そして、それまでは、この先の治療方針も、
わたしもがんの種類のことも、なーんにもわからないまま、

またネットや本を眺めては、
「こんなタイプのがんだったら……」
「こんな治療をするんだったら……」と、
悶々としていなければ、いけないということ──。


あまりに厳しい事実でした。


がんということだけは、間違いがなく、
それ以外のことは、まったくわからないまま1ヶ月を過ごすなんて。


口をパクパクさせて絶句していると、


「早いほうがいいよねえ。なんとか調整してみるから、待っててください」


先生によると、どんながんでも、よほどの場合は、緊急で手術に回すんでしょうけど、
そうでなければ、病状に余裕があるなら、1ヶ月、2ヶ月待ちはザラなんだそう。


けれど、がんは、手術して、切り取ったソレを病理検査に回して、詳しく検査してみないと、
そこから先のことは何もわからないみたいだから、待たされるということは、
それだけ生殺しの日々が続くということです。


今思い返してみても、この待つだけの1ヶ月は、しんどかったです(´Д` )


足が地についてない日々でしたね。ふわふわ、ふわふわと落ち着かなくて。


結局、術後も即、結果がわかるわけではなかったので、
すべての結果がわかるまでに、この診察の日から、2ヶ月近く待たされました。


まさに、判決を待つ、罪人の気分でした(゚д゚)

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2009年10月 初のマンモグラフィ 

さて、「悪い結果が出ました」と告知されてから、1週間後、
今度は、その後の治療の面倒を見てもらう病院へと足を運びます。

選んだ病院は、日本赤十字病院。

がんセンターにしようか、もうひとつ、こちらの地域では有名な大学病院にしようか
悩んだんですが、結局、最初に診てもらった先生の先輩を紹介してもらえるということと、
通いやすさを第一に、日赤病院をチョイスしました。


この日の同行者は、母親です。

やはり、お母ちゃんは子供のことが心配です。

きっと、わたしの病気が判明してから、胸いっぱいの思いをしていたことでしょう。

もっと詳しい状況を知りたいはずです。

それをわたしが、あーだこーだと説明するよりも、
一緒に説明を受けたほうが、話の通りも早かろうと思っての同行してもらうことにしました。


診察の前に、マンモグラフィを受けるよう指示されます。


初マンモグラフィです。


噂では、ぎゅーっと引っ張って、ぎゅうぎゅう押しつぶされて、痛い、と聞きます。


実際はどうなんでしょうか?
緊張が高まります。


名前を呼ばれて、診察着に着替えました。

女性の技師の方が、「失礼しまーす」と
チチをコネコネするように、板の上に伸ばしていきます。


「じゃあ、ちょっとキツイかもしれませんが、がんばってくださいね~」


この段階では、チチはまだ軽く板に挟まれているだけです。


女性技師が、隣の部屋へと移動し、


ガシャン、ウィーーン……

うおおおっ Σ(゚Д゚) 



チチがどんどん挟まれていきます。どんどん、どんどん、これはかなりキツイです。
体感的には、かなりぺっちゃんこにされている感じがします。

痛みは、チチ自体が痛いというより、
引っ張られているチチのふもとがピリピリと痛みました。


ふと、友人との会話を思い出します。


マンモ


ちょっと、これ、どうなんでしょうか?

彼女は、堂々とマンモを受けられるオッパイになりたいと、申しておりましたが、
サイズによって、不具合が出ることはあるのでしょうか?


ナゾです。



で、わたしは「いててて……」のうちに撮影は終わったのですが、
断乳して半年過ぎくらいだったので、挟まれた圧力で、母乳の残りが絞り出されておりました。


もう自分で絞っても出なかったのに。

マンモの圧力、恐るべし、です(゚д゚)


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2009年10月 告知された日のこと

通常、告知ってどんなふうに言われるんでしょう?

ズバリ、「あなたはガンです」って感じ?

わたしの場合は、

「悪い結果が出ました」ってだけだったんですよね。


悪い結果。


直接的に病名を言われたわけじゃないので、

なんだか、まだ希望の余地があるような気がしてしまいます。

帰って、すこし落ち着いて考えてみると、

「もしかして、誰か他の人の組織と間違えたんじゃない?」

などと、考え出してみたり。(←落ち着けって感じです)

だって、わたしはこんなに元気だし、家系にガンはいないし、心当たりもありませんし。


ともかく、告知のようなものを受けて帰ってからは、
図書館に走り、乳がん関係の本を借りまくってきました。

買わないあたりがケチな感じです(´∀`)

でも、買わなかった本当の理由は、

自分の家にそういう本を置きたくなかったから、です。

なんだろう、うまく言えないけど、
置いておくとガン患者であることを認識せずにはおられない、というか、そんな感じで。


読書は得意なので、借りてきた本を怒涛の勢いでざっと読みしていきます。


どの本にも、


「乳がんは手術を終えてからが、本当の闘いです」



と書いてあります。

でもわたしは大丈夫。


だって初期で、ちょちょいと切っちゃえばいいって言われたし。


なんて思いもする反面、

エライことになってもうた(゚д゚lll)
 とも思いました。




そんな感じで、その日は本を読み漁り、
読んだあとは、ネットで情報収集をしまくりで、頭はぎゅうぎゅうのぎゅうでした。

集めた情報の中には、こんな記事もありました。


「こういうタイプが乳がんになりやすい!」

 ・初経年齢が早い
 ・閉経年齢が遅い
 ・出産したことがない
 ・最初の出産年齢が遅い
 ・授乳したことがない
 ・閉経後に肥満になる
 ・母、姉妹に乳がんの人がいる
 ・社会的な階層が高い(高学歴)
 ・多量の飲酒の習慣がある
 ・背が高い

「……この中で当てはまるのは、背が高い、だけだわ」

背が高いことを乳がんの関係は、ちょっとなんだったか忘れてしまいましたが、
その情報の中では「は?」というような理由だったような気がします。

ちなみに「社会的な階層が高い」というのは、それだけ婚期が遅れて、
出産の年齢が遅くなるから、と理由付けされておりました。


なんだか占いのようです(´・ω・`)





そうして夜、子供を抱っこして寝かしつけながら、
「万が一、最悪の事態になったら、子供たちはどうなるんだろう?」
と、胸が痛みました。


子供のことを考えた瞬間、恐怖が湧き上がってきます。


「2歳の子が小学校に上がるまで元気でいられるのかしら?」
「上の子は小学生になったばかりなのに……」


そんなことを考えて、初めて、涙がこぼれました。

その時点で、ようやく、実感が湧いたんだと思います。

涙が次から次へと溢れてきて、居たたまれなくなりました。


と、そんな風に、さめざめと泣いていると、


「ぶにゃおぉぉーーーーーーーーーぉぉんッ」

「あおぉぉぉぉーーーーーんッ」



外から、さかりのついた猫の叫び声が飛び込んできて、


neko.jpg


瞬間、思いっきり素に戻りました。


ガラリと窓を開けてみても、猫の姿は見えません。


再びの、猫の声。

夜風にさらされて、頬を濡らしていた涙が、カピカピと乾いていきます。

頬の感触がゴワゴワです。



夜風


なんだか、バカらしくなって、その日の涙はそこでおしまいになりました。


そのまま朝まで悲嘆に暮かねなかったので、そういう意味では、猫サマサマですかね。


あのときの猫の声は、今でもはっきりと覚えております(´∀`)

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2009年10月 告知の風景

病院から電話をもらって、急いで行くと、受付のところで、
看護師さんたちが、こちらを見て、何やらヒソヒソと話し始めます。


なんでしょう。


なんだか、憐れむような眼差しを感じます。


実際、私のことを話していたのかは知りませんが、
私の傍らには、2歳になったばかりの子がいたので、


「ガン」と「幼子」というセットで見ると、哀れを誘う組み合わせではあります。


実際、診察室に入ってからも子供は無邪気で、キャッキャとはしゃいでおりました。
机の上にある、ペコちゃんのキャンディーを手にして、ニコニコと笑っています。

子供


そんな中、悪い結果を話さなきゃいけない先生も、ちと気の毒です。


そこまで覚悟しておきながらも、どこかで、
検査の結果はグレーくらいかも知れない、とうっすら期待もしておりました。


期待というか、希望というか。


でも、先生、ズバリと言い切ります。


「悪い結果が出ました」


ガーン(゚д゚lll)


「あー、そうですか」

「エコーで見たときから、そんな感じがしてたんだけど」


Σ(゚Д゚)なんですと!?


確か、あのとき、先生は「大丈夫だよ~」と明るくおっしゃっていたはず。


なるほど。


道理で、「でも一応ね」と、針生検を勧めてきたわけです。


さすが、何百人と検査してきた先生です。
うまいこと検査に持っていくんだなぁ、と思いました。


エコーですでに察しはついていたものの、
検査の結果が出るまでのあいだ、余計な不安を煽らないように、
「大丈夫だと思うよ~」とおっしゃっていたのでしょう。


それがありがたくもあり、早く言って欲しかった気持ちもあり……。


まあ、決定ができないのだから、ああいうふうにしか言い様がなかったのかな、とも思います。


けれど、コレ、このパターンで、いざ告知の段階になって、
「大丈夫って言ったじゃないですか!!」ってかみつく患者さんも中にはいるはずです。


こうした病気に接するお医者さんって、大変ですね。


そのあとも、先生は言葉を選んで慎重に、ゆっくりとその後のことについて説明してくれました。


「これから治療ということになります」

↑まったくグレーとかの入る余地なしです。それくらいハッキリとがん細胞だったんでしょうねー


「まずは紹介状を用意しますので、どこがいいかおっしゃってください」

どこがいいかと聞かれても、私もよくわかりません。
乳腺外科に、先生の先輩がいるという病院をおススメされるままにチョイスします。


このとき、わたしのシコリは1センチ弱といったところでしょうか。

「はっきりと断言はできないけど、それくらい小さいんだったら、初期だと思うよ。
ちょちょいと切っちゃえば、それで済むんじゃないかなあ


ちょちょいと切ればそれで済む。


それは、とても魅力的な言葉に感じました。

なんだ、大したことないんだー。


でも、それはとんだ間違いであったと、4年経った今は強く強く思います。


ちょちょいと切ってからが、本番じゃないですかあ



それ以来、この先生にはお会いしてませんが、もし会うことがあれば、声を大にして言いたいセリフです。


そうして、「がんばってね」という言葉を最後に、診察室を出ます。


あーあ、やっぱりクロだったかー


隣では、子供がもらったキャンディーを手にうれしそうに笑っています。



車に乗り込んでから、夫に報告をしました。


「ウソっ」

そう、つぶやいて絶句しておりました。


デスヨネ。



これから、両親にも報告しなければなりません。


実はこれが一番、気が重い。


いろいろとめんどくさいなーと思いつつ、家へと車を走らせます。

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2009年10月 かかってきた1本の電話

針生検のあと、気になったのは、
シコリの形がなんだかいびつに感じられるようになったこと。

あんな太くて長い針を刺したんですから、当然といえば当然でしょうか。

でも、今までつるんとしていた感触が、ゴツゴツに変わったのは、なんとも不気味な感じでした。

シコリ


でも、心なし、シコリが小さくなったようにも感じられます。

いずれにせよ、診察では「大丈夫だと思うよ」のお言葉をいただいていたので、
気持ち的にはずいぶん楽になっていました。

検査から、次に行くべきまでの1週間は、かなりおだやかに過ごせていたような気がします(´∀`)


ところーが。



ちょうど1週間が経過した金曜日の朝。

1本の電話がかかってきます。

電話を取ったのは、夫でしたので、彼から「電話だよ~」との掛け声がかかります。


「どこから?」

「○○○○クリニックっだって」



がーん(゚д゚lll)


その一言を聞いただけで、なんの用件なのか、すぐにピンと来ました。


あーあ。


一応、電話に出てみると、


「検査の結果が出ましたので、できるだけ早くいらしてください」


もう、ビンゴ以外の何者でもありません。


「はあい」とだけ、答えて、電話を切ります。


夫は、「まだわからないよ」と言ってはいましがた、私にはなぜか確信がありました。

なんでもないのに電話がかかってくるはずもありません。
病院もそこまで暇でもないでしょうし。


夫は仕事がありましたので、2歳になる下の子供と一緒に、病院へ向かいます。



なんでしょう。不思議と心は落ち着いておりました。


なんともないと思いつつも、発見からその日まで、
どこかにぬぐいきれない予感があったからでしょうか。


──というとカッコイイですが、タブン、そんなカッコイイ理由ではなく、
もともと、私、いろんなことに対してスロースターターなんですね。


旅行にいっても楽しくなってくるのは、帰ってからだし、
面白い映画を見ても、その面白さを感じるのは一晩二晩経ってから。


だから、今回の件に関しても、
まず第1段階目としては「そっかー」程度の感想しか抱いておりませんでした。


実感がないってわけじゃないんですけど、まあ受け止めるしかないな、と。


だから、病院へは、子供を連れてでしたが、いつもどおり、落ち着いて行くことができました。


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2009年10月 激痛!針生検のバチンっ!

シコリの組織の検査、これを受けることにしたのはいいのですが、
一体、何をされるのデショウ?

エコーをしてもらった体勢のまま、ベッドの上で、その説明を待ちます。


「あのね、シコリのところに針を刺して、ちょこっと組織を取ってくる検査なのね」


Σ(゚Д゚) 針を刺すッ!?



でも、わたくし、わりと病院にかかることが多いので、採血とか点滴とかの針モノは、
決して得意ではありませんが、さほど縁がないわけでもありません。


一瞬、怯みましたが、すぐに落ち着きを取り戻しました。


ところが……


「で、その針なんだけど、ちょっと太いんだよねえ……」


えっ Σ(゚Д゚)


「太いって、どれくらい……」

「んー、鉛筆の芯くらい、かなぁ……」



ニードル


怖がるのを避けるためか、こんなふうに実物を見せてはくれませんでしたが、
ベッドに横たわった、その視界の端に、ガサゴソとその針を取り出していく風景が映ります。


(な、長い……((((;゚Д゚)))))


わたしには、その器具は、えらいこと太く、長い針に見えました。


(もっと注射針みたいな細いので、ちょいと刺しての検査だと思っていたのに)


なんだか大変なことになってしまったと、ジワリと汗が出てきます。


そんなわたしの不安をヨソに、看護師さんと先生はてきぱきと準備を進めていき、

「じゃあ、麻酔するね~」


えっΣ(゚Д゚)


「ま、麻酔が必要なほど、痛むのデスカ!?」

「んー、まあ、一応ね。痛むとイヤでしょ(´∀`)」

先生、おだやかに麻酔を打っていきます。


ああ、どうしよう……


麻酔が効くのを待つ時間が落ち着きません。


やがて、


「じゃあ、始めていきますネ」


あの、太くて長い器具が近づいてきます。



「バチンバチンって、ホッチキスみたいに組織をとっていくから、ガンバってね。
全部で、3方向から、組織をとっていくからね。じゃあ行くよー」



──バチンッバチンッバチンンッ




痛恨の一撃、いや三擊でした。


なんでしょう、他の方の体験談を見ると、
「さほど痛くなかった」
「大丈夫だった」
と、サラリと書いてあることが多い針生検。

わたしにとっては、びっくりするほどの痛みでした。


組織の採取後、針を刺した場所を、看護師さんが強く圧迫します。

「出血を止めるために、しばらくこうやって圧迫しておくね。肺気胸に注意して見てて」

看護師さんへの指示が飛びます。


肺気胸? 


気になりはしたものの、もう、このあたりで思考が停止しとりました(´∀`)


大きな絆創膏を貼って、さあ、おしまいです。


「じゃあ、結果は1週間後 には出るから、また1週間後くらいに来てください」


「はあい」
ヨロヨロ……

病院から出て車に乗り込むも、あまりの痛みに動くことができません。


ズキン、ズキン、ズキンッッ


ハンドルを掴んだまま、脂汗を流したまま、悶絶です。


こ、こんなんで家に帰れるのかしら……


そう思うほどの痛みでした。

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